迷いの窓NO.109
恋の道行き
(後編)
2006.11.8
 真面目に論じていたら深みにはまってしまいそうなので、ちょっと笑いの世界へお誘いしよう。
サンサンてるよ様の影響だろう。最近落語が気になって仕方がない。
このごろはあまり耳にしなくなったが、嫉妬は「悋気(りんき)」とも言われた。つまりやきもちのこと。
「うちの女房は悋気がきつい」とは時代小説に登場する旦那連中の常套句だ。
それでもわき見をしてしまうのが男。まあこんがり焼きもちを焼かれるうちは愛されている証拠といえるだろう。ほどよく焼かれて夫婦円満!というところか?

  上方落語のポピュラーな演目に「悋気の独楽」というのがあるのでご興味のある方はどうぞ。
本宅か妾宅か?独楽で決めようとした旦那。さて旦那はんの独楽はどちらへ・・・。
一方、江戸落語にある「悋気の火の玉」は、劇場的で底抜けの面白さがある。
互いを呪い殺そうとした本妻さんとお妾さんが同時に二人とも死んでしまい、火の玉となってけんかを続けるという奇想天外な筋立てだ。
ここで仲裁に入る旦那の肝がすわっているところが興をそそる。火の玉になった本妻に頼んで煙草に火を点けさせようとするところなんざあ、豪胆で惚れてしまう。

  火の玉(魂)になっても?何というバイタリティーなんだろう。
恋をするのも嫉妬するのも生きているから。
それも生きている証なのだ。

  恋に年齢は関係ない。私が20代半ばの頃、同じ歳の職場の女性が恋に落ちた。
確かお相手は70歳近くだったと記憶している。当時は己が若さゆえに理解できなかった。
打ち明けられた人たちの中で祝福する者は誰一人いない。
ある日休憩時間を前に「彼が来るの」と彼女はそわそわし始めた。
偶然にも私は喫茶店で二人を目撃してしまう。
二人は小さな円形のテーブルを挟んでじっと見つめあっていた。
いかなるものの介入も拒むような二人だけの時空。声などかけられるはずもない。
その目にはまるで少女漫画のようにキラキラと大きな星が光っていた。
それから10年ほど経ったある日、彼女が独り身のまま不治の病で帰天したことを知った。
あまりに早すぎる死だった。
すぐさま私はあの時の光景を浮かべた。
<あなたの命が輝いていたあの瞬間を私は忘れない。私は生き証人よ!>と心の中で呟き、彼女のために祈りを捧げたのだった。

  歳を重ねると傷つくことに対して臆病になる。
しかし、恋は傷つくことを決して怖れない勇気を与えてくれる。
人として生まれて人生に一度ぐらい「命がけで恋をする」ということがあってもいい。
迷っても傷ついても泣いても情熱だけは持ち続けているほうがいいのである。
涙をふいたらまた前を向いて歩き始めるだけだ。
いつのまにかトキメキを受け入れる柔軟な心を失い、感性の泉が枯渇していたような気がする。
それを思い出させてくれた友に感謝しよう。


  果たして友の恋歌の行方は・・・?野暮なことは尋ねまい。
今宵は独り手酌で“黒の舟唄”を口ずさみながら、哀愁を湛えた川面に身を任せるとしよう。

♪男と女の間には〜深くて暗い川がある〜

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