迷いの窓NO.107
茄子の花
2006.9.23
  NHKで放映中の大河ドラマ「功名が辻」を観ると、戦国時代の武家社会では政略結婚が公然と行われていたことが解る。婚家が滅ぼされればまた他家へと嫁ぐ。女は戦略の道具であった。それは武門の家に生まれた女性の宿命であったとも言える。そのような運命を辿ったあまたの女性の中に、織田信長の妹であるお市の方、豊臣秀吉の妹旭姫、徳川家康の孫千姫も名を連ねている。
歴史を紐解くと、家に縛られ運命に翻弄され、人質となっても血筋を残す!そんな凄まじい女たちの戦いが嫁姑戦争に形を変えて現代にその痕跡を留めたとしても致し方ないことかもしれないと考えていた。
そんな時であった。4月から習い始めた篆刻の講座で心を洗われるような中国の古詩に出会ったのは。その一篇とは『詩経』の中にある周南の「桃夭(とうよう)」という詩である。

   『桃夭』
篆刻作品「桃之夭夭」
篆刻作品「桃之夭夭」
<中国の信箋(便箋)に押印>


桃之夭夭  桃の夭夭
灼灼其華  灼灼たる其の華
之子于歸  之(こ)の子于(ゆ)き帰(とつ)がば
宜其室家  其の室家に宜しからん
桃之夭夭  桃の夭夭たる
有其実  ふん(ふん)たる其の実あり
之子于歸  之(こ)の子于(ゆ)き帰(とつ)がば
宜其家室  其の家室に宜しからん
桃之夭夭  桃の夭夭
其葉蓁蓁  其の葉、蓁蓁たり
之子于歸  之(こ)の子于(ゆ)き帰(とつ)がば
宜其家人  其の家人に宜しからん

<意訳>
桃は若々しく美しい花が咲いている。この娘が嫁に行けば嫁入り先にちょうどよいことだろう。
桃は若々しく美しくたわわな実をつけている。この娘が嫁に行けば健康で立派な子宝に恵まれ婚家にちょうどよいことだろう。
桃は若々しく美しくその葉はたくさん茂っている。この娘が嫁に行けば一族がますます繁栄して幸せだろう。

  嫁ぎゆく娘を祝福する詩には中国の古代の人々の素直な歓びがあふれている。そういう感情は人間が本来もっている至極自然なものであったはずだ。
中国で「嫁ぐ」という字を「歸ぐ」と書くのは、他人のお腹を借りてこの世に命を授かった女性がやがてあるべきところへ帰るという意味であるという。夫の父母は本当の親。お互いに慈しみの心があれば、嫁姑問題など起こらないのかもしれないと、何かほのぼのとした気持になった。
そして、お嫁に行かない人、戻ってきた人は生まれたところがあるべき場所ということだろう。

  私の身近にはお姑さんの介護を経験された方も多い。
高齢になると程度の差こそあれ、尿失禁、便失禁は珍しいことではない。
骨盤底筋が弱っているから仕方がないのだ。
しかし、オムツをするということは人間のプライドに関わる問題であり、極力隠したいことである。
意外なことに<自分の子供には知られたくない。だから、お嫁さんと二人の秘密>という人も多いのだ。
紆余曲折あってもこの頃には介護してくれるお嫁さんは娘以上の存在になっているのだろう。
そういうお姑さんは必ず「ありがとう」の言葉を残して旅立ってゆかれるという。

  どんな苦難があろうとも花は咲き、やがて実を結ぶ。
なすびが教えてくれた。
人間も同じではないか?
たとえ今年が駄目でもまた来年花を咲かせればいい。
風にゆれる茄子の花を眺めながら、非情とも言える困難な時代を生き抜いた女性たちに思いを馳せ、<人間だって逞しい>と思う。

  さあて、いつもはサッポロ贔屓「ヱビスビール」党の私だが、今宵は焼き茄子を酒菜にキリンの「秋味」を傾けるとしようか。桃之夭夭たる?時代の夢でも見ながら・・・。

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