迷いの窓NO.106
茄子の花
2006.9.23
  なすびの花がこんなにも美しいとは知らなかった。
今年初めて庭の花壇の一部を開墾して、(というのは大袈裟に聞こえるかも知れぬが、長年起こしていない土は硬く、逞しい雑草に占領されて、経験のない私には猫の額ほどの土地でも耕すのは並大抵のことではなかったのだ。)野菜の苗を3種類2株ずつ植えてみた。
簡単に思われたピーマンはすっかり害虫にやられてしまい、虫のつかないと言われていた南蛮も虫食いの被害にあって半分ぐらいしか実をつけない。
当初この辺の土には馴染まないかも?と懸念していたなすびは案の定7月の低温で成長が悪く、インド生まれで寒さに弱いなすびのことだから、今年は実るまいとあきらめていた。それが8月の暑さでぐんぐん葉を伸ばし害虫もつかずに可憐な紫の花を咲かれてくれた。

  「親の意見となすびの花は千(万)に一つの無駄もない」といわれている茄子の花。
これは雄花、雌花の区別がない両性花のためだが、実際にそううまくはいかない。
低温の次に集中豪雨が襲った。せっかく大きくなった苗木がなぎ倒されるような豪雨にあっては花もひとたまりもない。それでも落ちない花があった。
ようやく実を結んだと喜んだもの束の間、今度は今年道南で異常大発生しているという“カメムシ”攻撃だ。種類はアオクサカメムシらしい。葉っぱとみまごうばかりの五角形の姿をして棘のない実に憎らしいことにぴったりと貼り付いているではないか?!
あまり薬を使いたくはないが、野菜用の殺菌・殺虫剤では歯が立たないので、指ではじいてみたものの、すぐにカメムシ用の殺虫剤を買ってきた。茄子の生育にとってはまことに困難な状況にも拘わらず、初収穫は大小合わせて4つほどあり、それは茄子好きの叔母を大いに喜ばせた。
もぎたての野菜はどんな高価な食材よりも幸せを運んでくれるものだ。
今も花が終わり実になろうとしているおちびちゃんたちが5つや6つは茄子紺のピカピカした美しい姿を形成しつつある。
叔母は「見ているだけで可愛いね。」と微笑んでいる。

  茄子は何をしても美味しい。素朴だが薄切りにして茗荷と塩もみするだけでも美味である。油と相性のよい茄子のこと、無事に大きくなったら唐辛子味噌で炒めたり、揚げ出しにするのも好い。
<お気に入りのコラム『食から滅びる日本人』vol.826(2006.8.4)になすびの記事があったのでご参考に!>

  関西では京都の伝統野菜である賀茂茄子を田楽にしてよく食べた。また、小茄子の浅漬けをにぎりにして出してくれるお寿司屋さんもあり、色よい茗荷の酢漬けのにぎりと共に私のお気に入りであった。小茄子のからし漬けや麹漬けも食欲を湧かせるし、大阪泉州の水茄子のお漬物も絶品である。

  茄子は奈良時代にはすでに栽培されていたという。日本人の嗜好にあっていたのだろう。
「一富士二鷹三茄子」に象徴されるように夢に見たい“めでたきもの”としても知られている。
これには諸説あるが、なすが「生す」や「成す」に通じるとして縁起物や夫婦和合の象徴として親しまれてきたことは確かだ。粋の世界では根付や帯留めの工芸品に模って好まれてきた。

  茄子の語源は「夏の実」という説が有力らしい。「生す実(なすみ)」とも「夏味(なつみ)」が転じたとも言う。
「秋茄子は嫁に食わすな」とは一般的に「憎らしい嫁には美味しい茄子を食べさせるな」という意地悪なお姑さんの言葉のように理解されているが、茄子は本来は夏のもので盛りを過ぎた秋茄子はあくが強く身体を冷やす、故にお嫁さんを気遣ったものであるとも、秋の茄子は種が少なく子種ができなくなるから食べさせないという意味もあるとか。
お嫁さんが大切にされてきたと考える方が世の中平和ではあるけれど、嫁姑問題はどんなに時代が変わろうともこの世からなくなりはしないようだ。

  「女三界に家なし」という仏教諺がある。三界とは欲界、色界、無色界のこと。女性にはどこにも安住の場所などないという意味だ。

欲界・・・・食欲、淫欲を有する人間の世界
色界・・・・肉体や物質はあるが欲を離れたせ界
無色界・・物質も欲も超越した純粋精神の天人の世界


日本には昔から「女は三従」という言葉もあった。嫁ぐまでは父に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従う。どちらも男性中心の封建的な社会の話。
男性にとっては都合がよかったのかもしれないが、それだけに責任も重大であったろう。
ひろさちや氏監修の本に「今では家がないのは男性の方だと思う人が多いのでは?」と書かれていたのには失笑を禁じえなかった。

  家父長制度があった時代、「足入れ婚」といって、一定期間籍を入れずに女性(嫁)を家に入れ、家風に馴染むか、よく働くか、跡継ぎが生まれるかなど様子を見るという慣習は広く行われていた。
「三年嫁して子なきは去れ」とも言われ、とりわけ働き手が必要だった農家では女性は子を産み、働く道具のように扱われた時代もあったのだ。
皇室の継承問題で騒がしい9月でもあった。
が、民間にも今なお墓守をする跡継ぎは男子でなければならないという考えが綿々と受け継がれている地域もある。

  我が家の過去帳を見ると、何代の生母という記載があって、子供心に不思議な思いを抱いたものだ。系譜によると私の祖父は7代目にあたる。その生母は曽祖父の2番目の妻で、東北出身の大変食のよい丈夫な人であったようだ。一度に栗饅頭を6つも7つも食べるので家を出されたという話が伝わっている。おそらくは家風に合わないことの口実に語られたことだろう。
こうして先祖には縁につながれる沢山の女性たちがいる。
家のために子供と引き裂かれて辛く哀しい思いをした人たちのことを思うと、9代目の私で家を絶えさせることが申し訳ない気持がする。
しかし、こればかりは如何ともし難い。なすびの花のように一人で二役はできないのだから・・・。(NO.107へ続く)

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