公開中→ | ◆通肩と偏袒右肩 |
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◆ 襷にかける袈裟 |
葬儀式の当日、 ご寺院方のお着替えのお手伝いをさせていただくことは日常的にあった。 宗派が天台宗、真言宗、浄土真宗の場合には、葬儀の際、七条袈裟に どこの地方でも同様に衣紋を繕わせていただくのだと思っていたら、そうではないらしい。 「丁寧なことをする」と驚かれたこともある。 本山が多い京都という土地柄、お寺の権威が高かった為かもしれない。 主なチェックポイントは以下の3点
しかし、今の時代エセでなくともあるかもしれぬ。 実際に私の同僚だった友人が経験した話だが、葬儀にやってきた若住職の装束のお手伝いのために控えの部屋を訪ねると、白衣のままお人形さんのように突っ立っていたという。 揚げ句の果て、「お山へはどんな格好で?」と訪ねられたそうだ。 葬儀という大切な場に立ち会うのだから、「せめて御自分が身に着ける装束のことぐらいは勉強してから来ていただきたい。」という話である。 お寺様の中には関係宗派以外のことについて、法衣には無頓着という方もおられる。 法衣の形と着装法のページについては関連性が高いので、なるべく重複しないように心掛けてはいるが、色、形、着装法と平行してご覧になっていただけるとありがたいと思う。 また推定的な表現が多かったり、同じ字でも読み方を変えたりするのは、法衣が口伝として長く伝えれれるうちに、読み方を転じてきたことが大きな原因である。 法衣の形で述べたように、もともと形状や教義が異なる宗派のものが融合し、影響を与え合ううち、本来の形や意味を失ったものもある。 ぼうし型の帽子にしても、本来禅衣であり教衣(天台、真言、浄土真宗)では用いなかったものであるが、威儀を高めるという意識が高まってか、例えば古義真言(真言宗高野山派)でも身に着ける方もいらっしゃるので、断定的な言葉は避けた。 上述のような訳で、「法衣」はますます混沌としてくるのであるが、私はあくまで法衣の学術的研究の第一人者である井筒雅風先生の「法衣史・袈裟史」にその資料の大半を忠実に依拠したつもりである。 新しい観点があるとすれば、分類方法やわかりやすさに重きを置き、歴史的遺産や文学、古典芸能や絵画等の中に見るべき物がないかを探し求めたことである。 身近なところでは時代劇を見る際、あるいはTVで報じられるお寺の話題を法衣という観点から見ると面白い発見がある。 時には?という疑問にもぶつかる。世の中の「エセ」を捜してみるもの一興ではないか! |
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