法衣着装法 通肩と偏袒右肩 (つうけん&へんだんうけん)
通肩
(つうけん)
両肩を覆った姿。
説法の時、威儀を整える時の着装法
インドでは必要な時に通肩、偏袒右肩を自由に着装していた。
偏袒右肩
(へんだんうけん)
左肩に大衣、中衣をまとい、右肩を露わにすること。
諸仏、諸菩薩、長上に敬意を表す時、作務の時の着装法。
右手が利き手であることから、攻撃のないことを示す礼法であった。


マトユラー仏像



マトラー(中インド)仏像
紀元後、最も初期のインド美術的仏像
偏袒右肩タイプ(透ける大衣)
結跏趺坐 
カルパダタイプ
   (頭の形=肉髻が巻貝型)
阿弥陀如来立像

阿弥陀如来立像
(東大寺俊乗堂)鎌倉時代
薬師如来坐像



薬師如来坐像
新薬師寺本堂(平安時代前期)
右肩に大衣がかかっているが、偏袒右肩
如来部(釈迦、阿弥陀、薬師)のベーシックなスタイル。




〜仏像に見る通肩と偏袒右肩〜


  仏像とは本義では仏陀(悟りを得た人)を意味した。
現在では仏陀だけでなく諸仏、諸菩薩、祖師像までを広く仏像と呼ぶ。
広義における仏像は以下の四部に分けられる。
如来部、菩薩部、明王部、天部である。
三衣をまとっているのは本来仏像と呼ばれる如来部と、僧形をした地蔵菩薩のみである。
菩薩も明王も仏陀が出家する以前の俗衣あるいは鎧をまとっているもの、天部に至ってはインドで古来から信じられていた神の姿がある。

  しかし、仏陀が入滅(480年頃)から、500年余の間仏像は作られなかった。
古代初期以来、固執されてきた仏像不表現を打破したのが、マトラー仏であると言われている。

仏陀の死後、人々は仏陀の遺骨(仏舎利)を安置した仏塔(ストウーパ)を仏陀ゆかりの地に建立し、礼拝した。
その礼拝の方法は「右遶礼拝(うにょうらいはい)といって仏塔がブッダそのものであるという意識から、仏塔に右肩を向けるようにしてその周囲を巡り、礼拝するというものであった。
そこにはすでに、偏袒右肩の形がはっきりと表れている。

  一方密教で知られるラマ教においては、常に衣は通肩に着け、師主、長老に会えば必ず偏袒右肩して三礼すると言う。
  ※ラマ(喇嘛)とは凡夫を彼岸に渡す人間界の最上級の人、上人、教師の意


衣着装法写真引用
マトラー仏像 文明の道(ヘレニズムと仏教) 日本放送出版協会
阿弥陀如来立像、薬師如来坐像 仏像 (株)保育社
通肩に着装する七条袈裟 法衣史(井筒雅風著) 雄山閣出版
考文献
文明の道・ヘレニズムと仏教 NHK「文明の道」プロジェクト 日本放送出版協会
法衣史・袈裟史 井筒雅風著 雄山閣出版
仏像の誕生 高田修著 岩波新書

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